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T'Gatoi
ケアする巨体エイリアン

vol.01で紹介するのはト・ガトイ(T'Gatoi)。
「彼女」の存在がこのニュースレターを始めようと思ったきっかけでもある。
物語の舞台は、地球から離れたとある惑星。ト・ガトイは人間ではなく、高度な知性と力を持つ節足動物(種の名前は「トリク」)。身体のサイズは3メートル。寿命は人間の3倍ほどあるようだ。映画『エイリアン』のエイリアンや『エビボクサー』に出てくるボクサー、フランツ・カフカの『変身』のグレーゴル=ザムザの虫の姿を頭に思い浮かべる。人間はこのトリクたちによって保護区で支配されており、ト・ガトイはその保護区の責任者を務める。乱暴に言えば、人間はトリクの奴隷だ。
チェーホフは「物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはいけない」と言ったが、それと同じように、SF作品の中に巨体の節足動物が出てきたら、それは敵であることの方が自然だ。でもト・ガトイはそうではない。むしろ彼女の人間に対する接し方は、種を超えた他者との新しい関わり方の示唆を与えてくれる。
この短編の冒頭、ト・ガトイは主人公のギャンが暮らす家を訪問するが、それは「来客」と表現される。襲来ではなく来客。家には彼女専用の寝椅子まである。家族でもないが他人でもない、親戚のような関係と言っていいのか。ト・ガトイは家に入ると、家族の皆に「卵」を振る舞ってくれる。特に主人公の男の子のギャンには、その栄養満点で、ホッとした気持ちを与えるような美味しい卵をたくさん分け与える。
ト・ガトイとこの一家の奇妙で深い関係はギャンの母親との関係から窺い知ることができる。ト・ガトイと母親は幼馴染だ。そしてト・ガトイは母親と今は亡くなったギャンの父と引き合わせた”仲人”でもある。母親はト・ガトイに対して「あなたがまだ小さい時に踏み潰してしまえばよかった」という冗談を言うが「支配する側」のボスに、支配される側がこうした軽口を叩くのは新鮮だ。
ある日、ギャンは、偶然にも男性の出産シーンを目の当たりにすることになる。男性が「出産」しているのは、人間の子供ではなく、他のトリクから受精して育ったトリクの幼虫だ。トリクは、人間を宿主としてその体内に卵を産みつけることで繁殖する。
ト・ガトイは足の何本かから爪を出し、妊娠した男性の腹を喉から肛門まで切り裂く。この時すでに男は気を失っている。ト・ガトイの唾液には止血する成分が入っているのか、彼女が傷口を舐めるたびに出血は穏やかになる。そして、ト・ガトイは男の腹に手を突っ込んでトリクの幼虫を取り出す。幼虫は自分を包んでいた卵を食べ、やがて宿主を食べるという習性を持つ。これ以上成長すると男の命が危険に晒されてしまうのだ。ト・ガトイは苦しむ男を見て「人間も自分の意思で気絶できたらいいのに」と語るが、そこには、人間にはなるべく苦しみを与えたくないという思いが透けて見える。
ここで表現されているように、トリクと人間は共生関係にある。トリクは生物学的な理由で生殖を人間の男性に依存している。健康な子を産むには、人間の男性にも健康に育ってもらう必要がある。トリクが人間に対してケアの眼差しを向け、愛情を注ぐのは自らの子孫の繁栄のためである、とシニカルに見ることもできるし、もちろんそれも否定できない。ただ、この物語を読むと、ト・ガトイが人間に対して、単に”奴隷”としてではない、慈しみなども含む複雑に絡み合った感情を持っていることがわかる。
そして、ギャンは、自分がそろそろ、体内に卵を入れられるその対象になっていることを知る。そして、ト・ガトイはギャンの身体に穴を開け、産卵管を通して卵を入れていく。
Possible Cases
より強力なパワーと知性を手に入れた種は、他者を力で支配するようになる、というのはSF的なストーリーの定石であり、現実世界においてもそうしたパラダイムが支配的だ。しかしそこに違和感を感じるのは、どんなに進化した種も、力や知性と比して、共感力やコミュニケーション能力はそれほど発達しないということだ。
トリクは人間に対してケアの対象として眼差しも持つ。その態度や言動からは、慈しみや優しさといったポジティブな感情を読み取ることができる。人間に自分の卵を入れて出産してしまうという行為は人間の命を危険に晒すけれど、彼女の発言からは、人間にはなるべく苦しまず、傷付かないでほしいと言う気持ちも読み取れる。私たちは、支配と共生が同居しているようなこのような関係を、この世の中にどれだけ見ることができるのだろうか。
加えて、この作品は男性妊娠小説でもある。また、種を超えた交接というのも珍しい。
ちなみに、男性の妊娠は科学的には実現に近づいている。「ロキタンスキー症候群」という、卵巣はあるが生まれつき子宮のない35歳の女性が、2度出産経験のある61歳の女性から提供された子宮を移植し、無事に男児の出産をすることができたという。こうした移植の成功例は、男性も移植可能であることを示唆している(実際にはホルモンバランスなどの問題でまだまだ課題はあるようだ)。
また、マウス実験のレベルでは、雄のiPS細胞(人工多能性幹細胞)から卵子を作って別の雄マウスの精子と受精させ、子どものマウスを誕生させることにも成功している。
Quotes
「もっと飲めばいいのに」
ギャンの家を訪問したト・ガトイが、ギャンに卵を勧める。これは親切のためではなく、自分の卵を宿すのに適切な健康な身体になってほしいが故。
「ありがとう、ギャン」
出産の手伝いをするギャンに向けた言葉。ト・ガトイが差し向ける「ありがとう」は、特別な言葉ではないし言い慣れている。
「あなたをロマスのように置いてきぼりにしない。あなたの面倒を見てあげる」
人生(の少なくともある期間を)引き受けるかのようなこの言葉から慈悲や愛情を感じざるを得ない。
Source
オクテイヴィア・E・バトラー 著、藤井光訳(2022)『血を分けた子ども』河出書房。表題の「血を分けた子ども」はヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞を受賞した短編小説だ。